妖々夢前あたりから花映塚にかけての
神主の日記を発掘して読んでみた。
http://web.archive.org/web/20050407200347/www16.big.or.jp/~zun/cgi-bin/diary/nicky.cgi
この頃の神主はまだ割と筆まめだったんだなぁ。
イベント前にならないと更新しない今の神主とはえらい違いだ。
日記の中でも結構ゲームに対する考えを語ってたりして
読んでてなかなか面白い。
ってか香霖堂読めば分かるけど
神主はこういう風に自分の考えを語るのが好きだよね。
ただその内容はだいぶ変なものが多いから
ここまで自身が影響力を持つようになってしまった以上
あまり気軽にブログとかには書けなくなったのかな。
日記の中で結構語っているのは
ゲームにおける世界観の重要性。
ゲームを形作るのはストーリーでもシステムでも
ましてやキャラクターでもない
世界観こそがゲームの基礎となるものだと
それくらい熱心に語っていた。
自分はFF9の世界観に感動して以来
ずっと「生きた空想世界」というものの表現を探してきたのだけれど
最近崖の上のポニョを見てふと気付いたことがある。
そういえば、ジブリって必ず食事のシーンあるよなぁ、と。
それも、料理するところから始まって食べるところまでちゃんと描いてあることが多い。
これ、世界観を表現する上で結構重要なことだと思う。
物を食べるっていうのはまさに生きるという表現そのもの。
日常生活で欠かすことのできない最も基礎的な部分。
あのシーンがあるからこそ
キャラクターに「生きている」感じが出るんじゃないかと。
FF9の印象に残ってるシーンに
ジタンがリンドブルム工業区の行きつけの飯屋にいくイベントがあるんだけど
あれも今考えれば
キャラクターが世界に「生きている」感じを出すのに一役買っていたように思う。
アレクサンドリアでのかけっこやなわとび
トレノでのカード大会
アクティブタイムイベントシステム
考えてみるとFF9は
緊迫した話の合間合間に
のんびりまったりとした日常があった。
日常の描写があったからこそ
そこに住んでいる人々の生き方を想像することができ
それが生命感のある世界観を作るのに繋がっているんじゃないかと。
東方についても言うならば
酒呑みの宴会がまさにそれにあたる。
エンディングの宴会があるからこそ
幻想郷での日常が魅力的に見え
その世界観に深みを与えているのではないか。
香霖堂や三月精も
そういった部分を意識して描かれているように思う。
と、あっちこっちに話が飛んだけれど
そんな感じで自分の考えているものに一歩近づいた気がする今日この頃。
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